野蛮人の模型生活

模型が走らなくなった理由

タシカニ

今となっては趣味人として鉄道会社にも鉄道模型メーカーにもほとんどカネを落とすことのないゴミのような男です。それでも別に生きていける。「神の視点」を捨てた、おカネをかけない模型生活。ゴミ男がゴミを生み出す生き様をご笑覧ください。

いつの間にか、僕の模型が走らなくなりました。

これから書くことは、あくまで自分の感覚と経緯の話です。怒る人がいるといけないので、最初にことわっておきます。

小学生の頃に読んだ鉄道模型入門的な本には、鉄道模型を楽しむ作法のような説明があって、「目線を下げるとリアルに見える」と、今考えると当たり前なことで、言われなくても本能が働いて誰もが自然にそうしてしまうようなことが、少年向けにまことしやかに書かれておりました。

年齢を重ねて、そのような頃と比べると多少は手先の器用さが育って、やがてレイアウトを制作します。そして「自分レベル」で満足できるリアルさを得て、お気に入りの車両がぐるぐる周回するのを日々眺めるのですが、なんか物足りない。でも、それがなんだか、よくわからない。

作法に従って、たまに線路際まで目線を下げると、「おー、やっぱりリアルじゃん」なんて「一瞬」また自己満足するわけです。で、視点を一点に置いて、線路脇のカメラマンみたいに列車が回ってくるのを待つ。思ったわけですよ。「車両がぐるぐる回る必要無くね?ここだけ切り取ればいいじゃん。そしたら一瞬じゃなくて、そこだけずっと眺めていられる」って。

そうなると周回型のジオラマは作らなくなる。セクションレイアウトのようなことをやりだして、だんだんその切り取る風景が拡大されていく。で、またそこで物足りなさが出てきたわけです。結局、このスケールでリアルさを追求しても、車両を俯瞰だったり遠景から眺めるという世界が無限に続いていくだけか、と。究極言っちゃうと「車内視点」はありえない。

小面積のジオラマでは車両をたくさんは置けない。そこで線路に置く車両は無意識にお気に入りの車両の出番が多くなる。逆に、お気に入りの車両が映える情景を作ることもある。お気に入りの車両があって、その車両がなんで好きかって言ったら、どこかある部分のフォルムだったりするわけです。そうするとですね、僕の場合、じゃあ1両まるまるは無くても良くね?って、ことになっていったわけですね。

僕は気動車で言うと、キハ10(17)系とか20系の初期型、55系の初期型が好きです。子供のころの気動車列車はとにかくいろんな系列が混じっていて、これらの車両が組み込まれていると、まずこれに乗った。一番嫌だったのは、今でこそ「THE 国鉄型」なんてもてはやされてますが、40系が来た時。これはイカンやつが来たと。小綺麗だったし、機関の音にテンションがあがらない。そういうとこでガッカリした変態的な子供でした。10系とか20系の初期、55系の初期型って共通点はバス窓。そう、バス窓大好きなんです、僕。そうすると、一両まるまるの模型化はしなくて、バス窓だけ切り取った模型でもよくなる。たぶん、そういうヤツをそのうちやってしまう。

そんなわけで、僕の模型は走らなくなってしまったんです。

すみません。なんでコイツはこんなの作って満足してるんだ?理解不能と思っている人たちがいると思うので書きました。

あ、あとお金がかからないですね。こっち系は。

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