
模型工作趣味の発展に尽力されている方々においては全く心配のないことではあるが、この議論に息巻いて乱入する人に稀に勘違いをしている例があるので、一応、改めて断っておく。これは「高木ブーを雷様にする」ということではなくて「大仏様を高木ブーにする」という問題に関する話である。高木ブーで雷様をこしらえるという試みはすでに世界中で堂々と行われている行為であるので、そこにもはや議論の余地はない。
皆さんも気にかけているとおり、大仏様を模型化する際に高木ブーにしてしまうことの是非はその界隈では長く議論が続いているところであって、それはなかなか困ったことに結論に至る気配がないのである。この件について論破を試みた偉大な模型家たちがことごとく爆死を遂げてしまったことは、既知の事実。
僭越ながら小生が持論を申すならば、「肩の力を抜いて好きにやればいいじゃないか」の一言に尽きる。この議論において欠けているものがあることをみんな忘れてはいないだろうか。忘れているのではなくて、気付いていないのかもしれない。それは模型工作の楽しみと技術論は必ずしも両立するものではないということである。模型工作を楽しむために米粒に般若心経を書き写すような修行はいらないし、逆に技術を極めようとするならば、五体投地でカイラス巡礼をするのとイコールなくらいの覚悟が必要となるのである。
大仏様を高木ブーにしたい人はそうすればいいし、高木ブーにしたくない人は作品がそうならないように日夜研鑽を積めばいいだけのことだ。重要なことは「大仏様を高木ブーにする」のと「大仏様が高木ブーになってしまう」のでは意味が全く違うというところであるが、そこの区別がつかない人が一定数いるようである。どうやら、そこがわかっていない御仁が、この問題に喧々諤々関わっているような気がしてならない。そんな問題に入れ込んでいるヒマがあったら、その時間と労力を作品作りに充てたほうがよほど意義があると思うのであるが。
小生は、こと模型工作に関しては楽天的で、この問題に関してはご都合主義的ハイブリット精神でしのいでいる。だから進歩がなく万年B級なわけである。高木ブーにしないように気合入れて工作を始めたつもりが、高木ブーになると分かった瞬間「それもよろしいがな」と気持ちが切り替わってしまう。こんなだから、技術が向上するわけがない。
一般論としては「大仏様をデフォルメして高木ブーにする」のは構わないが、「意図せずに高木ブーになってしまう」のはダメなのだろう。考えてみれば、大仏様を狙って高木ブーに仕上げるのはなかなかの技術が必要だと思われる。結果として高木ブーになってしまうことは良くあるのだが、狙って高木ブーにするということは難しい。つまりは、結果をコントロールすることができる、ということが「技術がある」ということなのであろう。
小生の模型集中カウンターの前には、下の子が小学4年生の図工の時間に作った、娘自身を立体表現した紙粘土工作が鎮座している。娘が自分たちの部屋での置き場に困り、小生の部屋に放り込んできたものなのであるが、なかなかにこれ、工作の際の心の拠り所になっている。
感情が炸裂していて気持ちがいい。おそらくは上手に作ろうという気はそんなに前面になくて、何者に仕上がるかは結果しだいでこしらえたものに思われる。小細工を駆使する気もなく、工作手順にしたがって作っていったら「こんなのができた!」という感じ。
初めて作ったプラモデルはロボダッチシリーズ。あれ、楽しかったよな。
はい。
今回をもって、制作記最終回とします。と言うか、今回はいつもに増して制作過程がないのですが。
相変わらずふざけている。
ほぼ100均材料でやってきましたが、役者制作は3Dプリンターに頼ります。かなり前に購入したレーザーカッターは開封もせずに押入れに眠ったままです。3Dプリンターもあまり出番はありません。これらのハイテク機器の使い方をマスターしようとするなら、モノにする前に寿命が尽きてしましそうですし、アナログバカなので、教本的なもののページをめくっているうちに「手で作ったほうが早え」ってことを繰り返しているので、こちらも進歩がありません。手間を惜しんでクオリティを上げようとする向上心が欠如している。
完成したものは別途、お見せしたいと思います。気の利いた罵詈雑言のご用意と、失笑の準備をしてお待ちください。完成後すぐに出してしまうと、ネタがホットすぎて僕が痛い目に遭いそうなので、ほとぼりが冷めた頃を見計らって公開しようと思います。



