
お母さん、いつもありがとう。
機嫌が悪い時に声をかけると「別にあなたのお母さんじゃないし」と言われるのですが。
いつものことではありますが、昨日も2人でテレビを観ていました。母の日が控えているということで、母の日特集みたいなヤツが多かった。嫁さんが「父の日ってあまり(テレビで)話題にならないよね」と言うのです。「どうしてだろ」と。
単純な話だと思います。「潤う人がいないからじゃない?オリンピックみたいな話よ」
テレビから流れてくる話だと、定番のカーネーションに代わって実用品をプレゼントするのがトレンドだと。「こういうのはどうですか」みたいな感じで提案していました。オリンピックが近づいてくるとテレビを買い替えなければならない(らしい)のと同様で、母の日にはテレビが推す品を買わないといけないらしい。その線で考えると、父の日はマスコミも提案しづらい(盛り上げづらい)のかもしれないですね。オヤジは欲しがりそうなものの方向性が掴めない。バラツキが大。母の日なら「キッチンで立ち仕事のお母さんのために足のマッサージ器はどうでしょう」でまあ、ハズすことも少なく行けそうだけど、オヤジの方はねえ、テレビ番組も「そんなお父さんにアルティメットニッパーを、こっそり用意しましょう。喜ぶこと間違いなし!!」とか、わざわざやらないですよね。
だから、オヤジの方も「いや、アルティメットニッパーじゃなくてアメイジングカッターの75mmが切れるヤツが欲しいんだけど」なんて言う機会すらない。いや、今年は父の日が近づくとあるかもしれない。「父の日が近いのでプラモ特集です。ゴッドハンド社が販売しているのアメイジングカッターとかどうですか?」なんて。
そんな母の日ですが、僕は鉄道公安官を作ってみました。(全く関係ない)
1/24スケール。
制作中のジオラマに登場させる人々。サラリーマンとかばかりではつまらないと感じたので、鉄道公安官を放り込むことにしました。急に思い立ったので資料といってもネットで画像探すくらいしかない。制服の色味がよくわからない。現役の鉄道公安官に接したことあるけど、微妙な色味が記憶にない。そもそもの写真が古かったり、ネガフィルムで撮影したものだからなのかわからないけど、色のブレが大きい。僕が作りたいのは灰青色って言うのですか?あれの方なんだけど。
出来上がったものはちょっと色が明るいかなと思いましたが、まあ、いいか。普通の人は鉄道公安官の制服なんか覚えてないか、そもそも知らない。これから嫁さんに見せようかと思いますが、十中八九「なんで警備員さん?」って言いますよ。
国鉄時代、鉄道公安官は駅員や車掌、運転士などのように我々旅客が目にするところにあった職種ですが、実際接したことのある人は、案外少ないかもしれません。記憶にある限りでは、僕は一度だけあります。
小学生の時に、夜行列車をホテル代わりに使ってのひとり汽車旅をしました。子どもの不注意が炸裂、途中で切符と所持金のほとんどが入った財布を落としてしまったんですね。途中の停車駅から自宅に電話をかけました。かくかくしかじか、の話を電話で聞いた僕の母親はすぐに、その乗ってる列車の終点の駅に電話をかけたようです。終点でホームに降りると鉄道公安官のおじさんが待っていました。
そのまま鉄道公安官室に連れていかれました。その駅からは旅程でラストの1本、自宅に帰るための夜行急行に乗る予定でしたが、そこで目的地の駅まで帰れるように段取りしてくれました。しばらく時間があったので、その場にいた鉄道公安官のおじさんたちとお話をしました。その中の公安官が(どういう事情だったか忘れたけど)拳銃を発砲した同僚の話を交えて、鉄道公安官の仕事について話してくれました。
残念ながら、その発砲の話の内容は覚えていないのだけど、ホームまで迎えに来て、そのあと夜行急行の発車ホームまで送ってくれた公安官さんの名前は、40年以上経った今でも覚えています。ホームに上がる手前の売店で、その公安官さんは「列車の中で食べなさい」と言って、駅弁を買ってくれました。今思えば、あの駅弁代はその公安官さんのポケットマネー。
まだ定年まで遠い年齢と思われる公安官さんでした。その後、そう年数が経たないうちに国鉄はJRに移行します。JRは民間企業です。民間企業の社員が逮捕権や拳銃などの銃器を持つことは適当でないとされ、国鉄の鉄道公安職は都道府県警の鉄道警察隊に移管されます。あの公安官さん、その後、どうされたんでしょう。
昭和62年3月31日から4月1日にかけて。国鉄最終日、そしてJR発足のニュースとともにセットで流れた、各都道府県警に鉄道警察隊発足のニュースに触れている時も、僕はこの時の公安官さんのことを考えていました。
あの時の公安官さんには感謝いっぱいです。子どもは早いうちから、ひとりで旅行でも出したほう良いと思います。世の中のいろんな人の思いに触れると、悪いことなんかしない。しようとも思わない。全ての子がそうとは言えないかもしれませんが、教えられる「教育」よりも、人の道がわかる。
中学を卒業するまでに、ひとり旅を幾度となくしました。僕が初めてひとりで日帰りの汽車旅行をしたのは小学校3年の時です。僕の家は母子家庭でしたが、母親は周囲から、小僧を1人で長距離列車に放り込むことについて能天気と思われていたらしく、「ひとりで行かせて大丈夫なの?」と呆れられていたようです。そんな中での旅行は、前述のようなトラブルがあったりするのですが、決して「もうやめろ」とは言いませんでした。
前に書いたことがあるのですが、その母親も僕が18歳の時に急死しました。中学、高校の男子なんて、母親にどれだけ本音で話ができていたか怪しいところ。息子として伝えるべきことはたくさんあったと思いますが、ほとんど言えていない。
今なら言えますね。
「お母さん、ありがとう」


