酔狂しか通らない遊歩道

電車が海苔巻きの世界だってあるんだゼ!

タシカニ

走らない模型を作って、それを素材にAIで箱絵にしたりして遊んでいます。ある意味、創造と破壊。下手なりに時間かけて一生懸命作った模型が、一瞬で怪しげな絵に変わってしまうのを見て喜ぶM気質。ただそれだけが趣味の無粋な男です。 拙作をご笑覧ください。

海苔巻きのビジュアルが電車のものとして耐えられるのか以前に「走らなければ鉄道模型じゃねえじゃん」という向きは、海苔巻き車体にチビ凸動力なり鉄コレ動力なりを組み込んで走行可としたら、電車になりえるかと考えてもらえれば良いかと思います。海苔巻きは円柱状のフォルムをしてますからね、車両限界的に何かとヤバい部分が出てくると想像できますが、研究の余地はあるかもしれません。いや、ないか。

広島電鉄750形をトミカでごまかした、いや、見立てた話をしましたが、実はその後の長き間、岩橋商会(錦林車庫)の750形に置き換えようかと悩んでおりました。その結果・・・

嫁さんがミニチュア写真家である田中達也さんのファンなので、少し前ですが、家族で展覧会に出かけました。メディアでいろいろ取り上げられている方なので、予想はしていましたが、なかなかの盛況ぶり。若い女性も多かったし、夫婦、家族連れなど、さまざま。まず、入場口のところから、僕は考えるわけですよ。精巧な模型、ジオラマの展示会などはあるけど、こうはいかない。メディアの取り上げ方から違うわけで、その結果、こうなるわけだけど、何が違うのか。

ハンガーが海の波になってるし、駅のホームには海苔巻きが停まっている。そういう作品をみんな喜々として眺めている。精巧な模型って、世間の人は喜々として眺めないですよ。「細かいねえ」なんて感想漏らして、そんな感じですかね。

会場を回るうちに気づきました。並んでいる作品は精巧さはもちろん備えているんですが、それ以上に、見ている人に想像の余地を与えているんですね。精巧極まると、作品自体がその形にしたいもの全てを語ってしまうんですよ。だから、見ている人は「凄いね」とか「細かいね」しか言葉に出しようがない。これは見る側にとっては、ある意味、つまらない。感情が揺さぶられないんですね。

何かで誰かが書いてました。モデラーの人はみんな力作をこしらえるけど、見せ方に無頓着だって。作ることが全てだから、しょうがないけど、もったいない、とか。「そうだよなぁ」と思いつつも、趣味は自己満足活動という持論もあるので、なんとも悩ましい気分。しかし、出来上がったものを家族に見せて、その反応がイマイチだったら凹むし、こうやって作ったものを晒したりしてもいるので、多少は表現者気質なものが芽生えているのかもしれません。少し前だったら、作って、自分で少し眺めて終わりだったんだけど。

作っている模型がただ自分で消費して終わりの成果物でしかないのか、他者に何かを感じてもらいたいとこまで行くのか、それはモデラーなのか表現者なのかの立ち位置の違いになってくると思います。

展覧会から帰って、答えがでました。「岩橋のキットはいらないな」と。そもそもが、こういうのが自分の手元にあったら面白いな、というきっかけで作ったもので、リアルさや精巧さはそこまで意識して求めていなかった。だから、ここでまた、手直しに時間かけるのは違うな、と。

展示された作品はもちろんですが、いろいろと考えさせられる面白い体験でした。ただ、精巧さで驚かせるほどの技術もないヘタッピな僕、表現者でやれるほど人間の深みもない僕。考えたり悩むのもおこがましいんですが。

あと、気づいたこと。やっぱり人形!フィギュア!これは重要ですね。フィギュアのチカラで「モノ」が「ソレ」に見えるんですよ。フィギュアの存在で「いやいや、無理あるだろ」っていうような力技感がゼロになる。実は、これが一番、実のある気づきでした。

750形はトミカの650形でいい。これは「見立て」です。なんなら、炎に包まれた海苔巻きにしてもいい。

しないけど。

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