たしかにおじさんと けんかをしました。わるいのわぜんぶ たしかにおじさんです。
てころがしで やまのてせんのぷられーるであそんでいたら、たしかにおじさんが みせてみろといいました。たしかにおじさんが ぼくのぷられーるをとりあげて これわにほんのでんしゃなのか といったので、じぇいあーるひがしにほんのいー235けいだよとおしえました。
たしかにおじさんわ いー235けいのかおお ながめながら 100きんのといれようひんにかいてありそうなもようがかいてあるけど ほんものもこんなもようがかいてあるのか くれべりんえくすぷれすのほうがかっこいいな
とひどいことをいいました。
こんなこともいいました。かーまにあのひとがのっていてはずかしいくるまとかいうけれど これもそんなかんじなのかなとかいいました。たしかにおじさんがいっていることがわからなかったけど ひどいことをいっているかんじがしたので、ぼくわなきそうになりました。そしたらたしかにおじさんわあわてたかんじで でもこれわこうきょうこうつうきかんののりもので、おじさんたちがろーんをくんだりちょきんをつかってかうものでわないから、これでいいのかもしれないな といいました。だいそーとかせりあのといれようひんとかこっぷにかいてありそうなもようだけど、だれもきにしないからいいんだろう ごめんごめんといいました。
あやまっておきながら、そのあとこんなこともいいました。さっぷうけいなかおでも きに15とかわまだあじがあるけど これわあじがしない とかいいました。
ぼくわきに15というでんしゃがどんなでんしゃかしらないから おとうさんとおかあさんにききました。おかあさんが たしかにおじさんわすまほでふりっくにゅうりょくもできないおじさんで かいこしゅみのかたまりだからあいてしなくていいよ といいました。
たしかにおじさんわへんなおじさんだから まわりのおとなのひとわだれもあいてにしていないけど、ときどききせきてきにひっとをとばすことがあるので ぼくわきに15が きになりました。
たしかにおじさんわ きに15だけにきにするな
とわらいました。おかあさんとおとうさんわ、あんなおやじぎゃぐしかいわないおじさんだから おはなししてもべんきょうにならないからあいてにしなくてもいいといいました。おかあさんが どうせへんなでんしゃにきまっているよといいました。ぼくわ おとなのひとにあいてにされていないたしかにおじさんが かわいそうだとおもいました。たしかにおじさんのいうことをだれもしんじていません。
おうちにかえってから ぼくわ おかあさんにすまほで きに15というでんしゃをしらべてもらいました。
めちゃくちゃかっこいいでんしゃのしゃしんがでてきました。
ぼくわ きに15がすきになりました。たからとみーに きに15のぷられーるをつくってくださいとおねがいしてみようとかんがえました。
三連休後半は家族で小旅行にでかけていたので、工作はほとんど進んでいません。連休最終日、思いのほか帰宅が早かったので、束の間、地味な作業をしました。
工作用紙ですので、強度がやはりありません。思いつくままにプラ板とプラ棒で内部に補強を加えました。




我ながら、相変わらずの行き当たりバッタリの産物で雑な加減ではありますが、ガチガチに強くなりました。どうせ見えなくなる処理なので気にしていません。まだ片面しかできていませんが、明日からまた仕事なので、今日はこのくらいにしておきます。
娘たちは中学生ですが、このあと何回、家族旅行ができるものだろうと考えました。
子供は国の宝、と言いますが、まさしくそのとおりだと思います。中学生ともなれば人格形成がかなり進んでいるところだと感じます。果たして、うちの子たちは、そのような世間の期待や願いに応えられるほどに育っているのか、そう育てるべき努めが自分自身できているのか省みることがあります。まあ、工作しているオヤジの背中が何も語っていないことは百も承知なんですがね、世間に対してふてくされている親の姿は見せてはいけないと思っているので、ヘボながら趣味を楽しんでおります。



