
「左門豊作が股ぐらから滴った汗で臭さ千万な座椅子で工作している図」のような現実ですが、いつかは書斎じみた空間でハイバックチェアにもたれながら、優雅に大人の工作を嗜みたいと妄想している男でございます。モンドセレクション金賞受賞な模型を量産するべく修行を重ねていきますので、よろしくメカドック。
思ってないんですけどね、そんなこと。上がいる世界では勝負しません。
週末、夜通し「股ぐら汗ウエット座椅子」で作業をしていると、ウトウトしてしまうこともしばしば。先日、そこで夢を見ました。
20代前半、職場でやたらと「世間とはなんたるか」を教えたがるオヤジたちに囲まれていた自分ですが、その時のオヤジたちが出てくる。不思議なのは、そこでの自分は今のオヤジの自分なんですね。つまりは、周りのオヤジが歳をとっていないのです。実は、この手の夢はよくみる。自分は歳をとっているのに、周りは歳をとっていない。自分が中心の時間軸なのです。
チクリとくる感覚に見舞われます。
前に書きましたが、僕は若い頃、仕事の都合で北海道で8年ほど生活していました。その間、道北と道央の2つの街で暮らしました。
発想が貧乏くさいのだけれども、下の子が幼稚園に通っていた頃、小学生になるとなにかと料金がかかるので、その前にちょっと遠くに旅行をしようということになりました。せっかくだからとお義母さんも誘って、北海道旅行をしようと。
旅行プランの作成は僕が担当です。大井川鐡道のときと同様、この時も家族は僕のペースに嵌まります。往復は長距離フェリーを使うので、現地での日数はそんなにとれない。そんななか僕は、観光地巡りはそこそこに、若い時に住んでいた町に向かうというハードスケジュールを組んだんですね。「札幌時計台なんか『日本三大ガッカリ』なんだ」とか言いながら、そちらに目を向けさせないようにした。
北海道は広いですからね。僕が住んでいた町に行こうとすると、数多くの観光地を無視することになる。そういう旅行に仕上がりました。どうしてそういうことになったかというと、家族に会わせたい人が居たからなのです。
独身でした。何の縁もゆかりもない土地で過ごす日々は、発見の連続というよりは退屈の連続なんです。自家現像するくらい写真に入れ込んでいましたが、それだけでは時間を持て余していました。僕はパチンコもゴルフも釣りもやらないし、当時は工作もしていなかった。今は模型に戻っていますが、当時は模型空白期間だったんです。撮影しない夜はとくに暇になる。
僕はとある駅前の喫茶店に入り浸っていました。駅前なんだけど、観光客はあまり来なくて、地元の常連でもっているような店でした。僕がある時、店に行くと「なんでもう少し早く来なかったんだよ。いま櫻井寛っていう人が来てたよ」なんてマスターに言われたことがありましたが、そんなことは稀で、たいがい、1日中同じ顔ぶれの客。1日に何度も来る客もいました。歯医者、パチンコ屋の経営者、不動産屋、仕立て屋、JRの保線屋とかその町に住むいろんな人が来ていて、僕もカウンターに並んでコーヒーをすすっていました。パチ屋の社長に「パチンコは、やらない」と話したところ「それが正解だよ」と真顔で言われたのは説得力があったなあ。そして、いつも居酒屋で管巻いてるような姿のJRの保線屋のオヤジは、冬でも雪焼けで真っ黒だった。
後にも先にも、コーヒー飲みすぎて店前で吐いたのはこの店くらい。閉店近くになると「カネは要らない」といってバカスカ、コーヒーを注ぐんです。わんこそば状態。
20代なんで、僕もこしゃまっくれていました。偉そうに青臭い持論を先輩方に向けて吹いていました。マスターも肚の中ではどう思っていたか、もう確かめようもないのだけど、僕の話を良く聞いてくれました。一回、どういう経緯でそうなったか覚えていないのだけど、酔っぱらったマスターの家にお邪魔したことがあって、そこでマスターは奥さんに「こいつは生意気な男なんだ!」と言っていましたが、酔っぱらっていたからこそ、本音だったのかもしれませんね。
それから20年経っていました。嫁さん、娘たちを連れて店に行きたかった。若い時のクソ生意気な自分を認めて、そこで今の家族を見せたかったんです。
営業時間が変わっていなければ、店は21時まで。日が暮れようとする中、持ち込んだ車をかっ飛ばしました。ホテルに荷物を置くよりも先に、店に向かいました。
だけど喫茶店は、もう、無かった。
「店」はありました。店構えは当時そのままで。なぜ、そういう状態になっていたかというと、マスターはつい最近、亡くなったというということでした。遅かった。
というより、気付くのが遅かった。
周囲には他にも何軒か喫茶店があったんですが、どこも無くなっていました。たった1軒だけ、当時の姿を残している店があって、ちょうど、その店のマスターがシャッターを下ろすところに出くわしました。当然、もうお爺さん風情なんですね。やはり、時間が流れていた。
自分勝手なんですよ、いつも僕は。自分が中心の時間軸で世界が回っていると思っているのか。僕が20歳、歳をとったということは、周りもそうなんです。当時のままでいるわけではないのですね。そんな当たり前のことに気づかない。馬鹿なんです。
若気の至りでしかない、クソ生意気な持論を飛ばして自分だけがガス抜きしていたあの頃。でも、かなり救われていたのだと思います。職場では「若い」というそこが全ての理由で我慢を余儀なくされていたのに、それに耐えられていたのは、職場の雰囲気から離れたあの店の存在だったと思います。職場で僕に説教たれるような年齢の人たちが、あの店では対等に相手してくれていました。マスターも含めて。
ホテルに入って、家族が寝静まったあと。部屋の片隅のユニットバスの便座に腰かけて、ひとり泣きました。涙がしばらく止まりませんでした。情けない。
ちびまる子の最近の話でこんなのがありました。まる子が束の間遊んでいた友達が引っ越してしまって、しばらくしたそのあと、残っていた家が取り壊された。そこで「あの子とは、もう二度と会えないことに気づいた」という話。
あの旅行からさらに年月が経ちましたが、最近、思うことがあります。僕がこんなくだらない文章を書いている最中にも、世の中では笑えない瞬間に立ち会っている人がいるに違いない。しかし一方で、僕が息を引き取る瞬間でも、テレビでは芸人がくだらないネタ飛ばして笑いとろうとしているんだろうな、と。それぞれが自分の時間で生きている。僕が死ぬ瞬間でも、世間の他の人たちは自分の時間で生きていてゲラゲラ笑っているという現実。それでいいのではないかと思います。
たぶん、「平和」って、そういうことなんだ。
はい。
最後に、AI丸投げ作成ポスターです。こんなの、どうですか?




