
小学生の時に青函連絡船の船内売店で購入した羊蹄丸のバッジがあったと思って、押入れの中のカビ臭いダンボール箱と格闘しましたが、出てきませんでした。代わりに思ってもいなかった物がいろいろと出てきました。
お父さんが保管している幾多のダンボール箱に何が入っているのかは、家族は知りません。僕ですら、どれに何が入っているのか把握していないので。家族にとっては、ゴミ同然の代物ばかり。鉄道模型界隈に限らず、コレクター父さんは所有物の整理に悩んでいると思います。片付けられず、どうしたものか困っているお父さん、大丈夫です。奥様に相談したら「ガラクタ」の一言で「片付きます」
蘊蓄垂れながら、一生懸命に集めたり弄った模型とか。それ、家族にしてみたら浪漫もクソもないガラクタです。ドンマイ!

20代の頃、仕事の都合で、とある小さな街に住んでいました。髪を切るにも店の選択肢が少ないから、理髪店も選んでいられない。僕が通っていた床屋のオヤジが大のゴルフ好きで、店内におびただしい数のゴルフ関連のトロフィーとかそんな物が展示してあるわけです。もう、鬱陶しいんですよ。他の客とゴルフの話ばっかりしてるしね。オヤジの人柄は良くて、ゴルフをやらない僕にはそれ系の話はしてこないのですが、視覚に訴えられるプレッシャーは凄い。右見ても、左見ても、わけのわからないトロフィーや盾が目に入るので、仕方ないから正面の鏡に映っている己のバカ面を見てるか目を閉じているかしか、やりようがない。豚骨で行きたいのに辛麺屋に入ったようなものなので、文句言えることじゃないけど。「だったら他所行けや」
ゴルフオヤジの相手が疲れるという話ではありません。そういうおびただしい敵をつくるようなことは言ってはおりません。思ってはいます。
ただ、自分がやったことの結果が賞状やらトロフィーに化けている、そういうものがたくさんある人は凄いなと思います。僕にはそういうものがほぼ無いに等しいので。球技やったら顔面キャッチという高等テク1本で切り抜けるし、走ったら女子に負ける低スペック小僧でしたので。いくつか資格はありますよ。ここで言うのはそういう免状とか免許証じゃないのです。そういうものは「国家試験のお勉強、よく頑張った!」という趣旨ものではなく、従事していいいことを示すものですから、そこで提示できる形あるものとして、それがあるだけです。だから紙とかカードがある。「自称」広○涼子とかじゃイカンのですから。
そんな僕が貰った資格ではない、形あるもののひとつに、鉄道管理局長から貰った「感謝状」なるものがあります。
本土最南端の駅がある土地で育った僕にとって、列車で遠くに行くということは、どんどん東へ行く、とにかく北に行く、と同じ意味でした。小学校中学年の頃から、日帰りでひとりで汽車旅をするような小僧。そんな小僧が小学校6年の時に稚内を目指しました。チャレンジ精神なんてものは全くない。ただの興味。南はわかっているから、反対側はどうなっているんだろう、という単純な興味しかなく、他人に対して何か行動で誇示したいとか、そんなエロいことは何も考えていませんでした。あと、寒冷地仕様の鉄道車両は二重窓を装備していることを知っていたので、それがどういうものか見てみたかった。近場の都城に、なぜか北海道から転籍してきたスハユニ62が居たはずですが、当たったことがない。そもそも都城のスハユニ62が二重窓をそのまま残していたのか、僕は知りませんけど。(都城の珍車と言えば、ホームから見える洗浄台のところにいる現役の青いオハフ61は見たことがあります。「スハフ42ではない、青いなんか気持ち悪い車両がいる!」と小僧が強烈な印象を持った車両。あとで正体を知りました)
小学校6年の冬休み。
ブルートレインは別として、特急列車には興味が無い小僧です。物心ついた頃、すでに母子家庭でしたが、博多駅近くで床屋を営んでいた父方の祖母の家に行くための旅行。母親は特急列車に興味を示さない幼い息子の性分を理解していて、せがんでもいないのに特急「有明」ではなく昼行が残っていた急行「かいもん」をチョイスして、わざわざ時間をかけた旅に連れていってくれました。そんな小僧がひとりで汽車旅するんだから、特急列車なんか組み込むはずがない。
小学生が列車で九州の南端から稚内に行くとしても、宿泊はホテルというわけには行きません。種村直樹氏の『鉄道旅行術』に「ビジネスホテルの泊まり方」というページがあるくらい、小僧がホテルに泊まるということは現実的ではありませんでした。ユースホステルという手もありましたが、観光ではなくひたすら列車を乗り継ぐ旅の宿泊施設には向いていません。日中は普通列車での移動。宿泊は夜行列車での車中泊。大垣夜行と青函連絡船の夜行便、函館本線山線経由の客レ、急行利尻などを宿泊施設代わりに旅程を組みました。あと、小学生のクセに生意気なのは、当時山陰本線にわずかに残っていた旧型客車に乗りたかったので、行きは山陰ルートになっているところ。ちょうど時期的に博多から「大山スキー号」という12系客車を使った夜行の臨時列車があったので、これで出雲市に向かいました。
真冬に鹿児島から稚内まで行って、帰ってくるという小学生の旅。解せないことがあります。
出発のために西鹿児島駅のホームに行くと、地元紙の新聞記者が待っていました。この小僧を取材させてくれと。写真撮られてインタビュー。なんで、そんな「すごい」ことをしようと思ったの?という質問。本人が「すごいだろ」なんて思ってないから、答えようがない。「自分の限界に挑戦し、無事の生還を目指します!」なんて言うわけないだろ。困りますよね。理由?「二重窓を装備した旧型客車に乗りたいから」そんなふうに答える小学生なんて将来不安な変態小僧です。テレビで「博士ちゃん」やってる今とは違います。世間はそんな変態回答する小学生を求めていません。
凄いことにチャレンジする小学生になっている。鹿児島から北海道に行くなら、誰がやっても勝手に日本縦断になるのに、そこが騒がれている。意味不明。そもそも、あの新聞記者は誰が呼んだのか?解せないのです。その時の母親の反応を見ていない。母親も一緒に「なんなんですか?」みたいな感じになっていたような気もするし、お約束の対応をしていたような気もするし。ただ、母親は新聞社にそういうことを事前に伝えるようなミーハーなことをする人ではないんですね。誰が新聞社に情報提供をしたのか、今となっては確かめようがない。当時を知る身内はみんなお星さまになっている。
モハ474のドアステップに片足載せて「今から乗ります」みたいなポーズのやらせ写真撮られました。

話はそれだけで終わりません。小僧の趣味行動がチャレンジに「昇華」というか「盛られ」て新聞記事になり、そのあと地元ラジオ局が小学校に取材にきました。昼休みに先生に呼ばれて、今度はマイクを向けられました。「旅では何が一番印象に残っていますか?」という質問。「函館本線46列車のスハフ44で痺れる夜を過ごしました」そんな回答する小学生、求めてないでしょ?どうせ。もう、本当に意味がわからない。これは「九州沖縄 びっくりアイランド(正式番組名は今となってはわかりません、ネット検索でも出てこない)」とかいう番組で九州全域で流れました。後日、教室で放送を録音したテープをみんなで聴く時間というものが設けられました。やめてほしかった。
話はそれだけでは終わりません。鹿児島鉄道管理局長が感謝状くれるって言うんですね。感謝状いただきました。副賞として「青春18きっぷ」と200系新幹線電車のレリーフが入った置時計もいただきました。この時計、今でも動いている。これも地元紙に載りました。鉄道管理局長と並んで、感謝状拡げて立っている僕の写真入りじゃなかったかな。理由は「鉄道旅行の魅力を世間に知らしめた小僧」みたいなヤツだったと思います。贈呈式のついでにCTCの指令所を見学させてくれました。
話はそれだけでは終わりません。さらに後日、西鹿児島駅の待合室に「ホットポッド」なる情報端末機械が設置されることとなり、その運用開始式があるので、そこでのテープカットだかくす玉を割れ、という国鉄公式ミッション。これは、もうひとり、女の子が必要ということでクラスメイトの女の子も駆り出されました。その子なんか、僕よりさらに意味不明だったと思いますよ。いま、どうしているのかな。この模様も新聞に載りました。
「趣味は何ですか?」という質問に警戒する僕。たぶんですね、こういうことも影響しているのだと思います。趣味なんて、自分の世界です。そこでやることで波風たつのが、めんどくさいのですね。
この小僧は、やがて、日本最北端の駅・稚内よりさらに北に行こうとします。
僕は、娘たちによく言っています。「テレビや新聞の言うことを鵜呑みにしてはいかん。絶対、盛られているからな!」【続く】



